大同坊やグッズ♡その2

最近は自分自身が大同坊やに惚れ込んでしまって、そのうち部屋の一角が大同坊やコーナーになりそうなほどです。 日本に「大同坊やコレクター」を名乗るかたがいらっしゃるのかわかりませんが、そんなかたにも気に入っていただけるようなものを見つけたので、ご紹介します。


まずはこのフットライト

非売品で記念に配られたというこの愛くるしい坊やをご覧ください♡
手にしてみるとわかりますが、けっこう大きいんです。
ライトにしなくとも、棚に飾ったりしても程よい存在感があって、かわいいことこのうえない…。
AC110Vなので日本でも使えます。

見つけた時は「ライト!?」と思いましたが、よく考えたら大同社は電機メーカーなのでした☆
「電鍋以外の次なる大同社製品が欲しい」というかたのプレゼントにもいいかもしれません。写真ではおなか部分が光っていますが、全体がふわっと光って見えますよ。

***


そして、すでに数名のかたからリクエストが入っている「大同坊や貯金箱」

坊やの胸元に入っている数字は、多くの人が生産年を表したものと思っているようですが、実は大同社の「年齢」を表しているのだそうです。

大同社の前身は、日本統治時代に林尚志という台湾人とその仲間が1918年に起こした「協志商號」という会社で、製造会社として成功したのち重工業の領域に踏み出し、1930年に「大同鐵工廠」という企業へと成長しました。
そのため、1969年(民國58年)に生産された初代大同坊やには、大同社がすでに「51歳」だった(1969-1918=51)ことを示す「51」という数字が入っている、というわけなのです。
これはまた、坊やに入っている数字に「7」を足すと、生産された年( 民國表記)がわかるというわけです。(例えば、「51」と入った坊やの生産年は民國58年(1969年)製であることがわかります。
初代坊やは目を閉じているのですが、これが世間ではあまり評判がよくなかったとのこと。大同社はデザインを練り直し、今のぱっちりおめめの坊やが登場。こうして、初代のものとそれ以降のものとでデザインが大きく変わりました。

実はこの初代坊やのデザインは日本人によるもの。なんとあの「『かわいい』の元祖」と称される、内藤ルネさんによるものなのです。
台湾のテレビ局が「白黒放送」から「カラー放送」に変わった1969年、テレビを主力商品として生産、販売していた大同社は、当時の宣伝課課長 王安崇さんのアドバイスにもとづき、当時の日本の電気メーカーのやり方に倣ってキャラクターを擁するべきだとし、「大同健児」というキャラクターを作ったのです。これこそがまさに、今の「大同坊や」。このとき使われたのが当時内藤ルネさんの作品であった「リトル・アメリカン」というキャラクターでした。当時の坊やが目を閉じているのにはこんな理由があったのです。

この「大同坊や」、当時は1万元以上の大同社製品を買った人だけがもらえるグッズだったそうです。プラスチック素材でお金を貯められるこの坊やは、物資が乏しく、庶民の暮らしがまだそこまで潤っていなかった1970年代において、「我が家は電気製品(たいがいはカラーテレビ)を購入できる財力がある」ことを示す象徴でした。きっと客間に置かれた坊やを遊びに来たお客さんらは羨望の眼差しで見つめていたのでしょうね。
こうした昔の大同坊やは、台湾ビンテージ界では「閉目版」「開眼版」と呼ばれています。なんだか大仏さまみたいですね。
ちなみに、この初代51号はなんと3万元(10万円以上)のプレミア価格がつく、文字通り「お宝」となっています。
(出典:https://fnc.ebc.net.tw/FncNews/Content/31787)

内藤ルネさんに関しては、こちらのyoutubeがうまくまとめています。
下記youtubeの9分あたりにご注目。

…大同社を、否、もしかしたら台灣を象徴すると言っても過言ではないこの「大同坊や貯金箱」、前回のブログ記事でミニ電鍋と一緒に撮影したのをご覧になったかたから「これは販売しませんか?」とお問い合わせをいただきました。
私物のものはすでにコインやお札を入れて使ってしまっているため、お譲りするのを躊躇したのですが、たまたま同じタイミングで台湾のかたが譲ってくださることになりました。
今回はルネ版ではなく、もっと年代の新しいものを譲っていただけることになったので、お店のほうでも並べてみたいと思います。
どの年代のものになるかはお楽しみに!
数に限りがありますので、気になっていた方はぜひ11月6日、お店サイトをチェックしてみてください♡

0 コメント:

コメントを投稿

Powered by Blogger.
Back to Top